2011年10月29日

忘れてきた街高崎

しばらくぶりに記事を書きます。先日、長野市に行ってきました。長野新幹線でいきました。途中高崎を通りました。この街を通るたびに、いつも熱いものがこみあげてきます。この町で18歳から23歳まですごしました。この街には市立高崎経済大学があり、今から40年前に入学しました。関東学連所属のある体育会の倶楽部に入り、大学にあった学生寮に入りました。学生寮の新入生歓迎コンパで初めて酒を飲まされ、救急車で病院に行き、入学式に出なかった様に記憶しています。
倶楽部で、だるま寺までマラソンをしました。
ことに、高崎観音までのマラソン、は4年間毎日、やりました。春になると、高崎観音は夜桜のちょうちんであふれ、ちょうちんが道をてらしてくれました。秋になると観音様の脇にはうす紫の桔梗の花が咲きました。毎年、毎年、咲きました。
前橋で試合に負けた時、くやしくて、高崎まで高前バイパスを走って帰りました。今でも元旦の実業団駅伝をみると、記憶がよみがえります。
一緒になろうと思った人がいました。西口にあった街の古い靴屋で彼女が始めてグレーのブーツを買ったこと。初めて飲んだブランデー、夏に初めて新潟の鯨波に海水浴に行ったこと。彼女は麦わら帽子かぶり、黄色のワンピース、さんごのイヤリング.....。
そして、春のまだ寒いころだったか、夜中に、家財道具をリヤカーに乗せ、彼女と過ごした家を出ました。
22歳のころだったと思います。それから23歳まで、アパートを転々とし、いろんな仕事をし、この街の隅々まで歩きました。この街はどこに居ても線路の音が聞こえました。終電の音、始発の音、新潟に行く汽車の音、長野に行く汽車の音。
夜中の高崎駅には おかま が...いました。当時高崎駅周辺は、東京の不動産会社が土地を買占め草だらけの荒れたところでした。早朝の高崎競馬場 周りを馬が駆け、調教してました。
暗い夜の繁華街や、歩いている自分...高崎新町の線路...暗い列車のテールライト...なにかを追いかけているのか、誰かを追いかけているのか、わからないけど....58になったいまでもときどき夢をみます。

高崎を去ってから、高崎駅に降りたことはありません。

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Posted by かなや at 08:54Comments(0)